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「間違っているのに正しいと感じるのはなぜなのか

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ジュリア・ゲレフはTEDxにて「間違っているのに正しいと感じるのはなぜなのか」というテーマで語り出した。

「今、戦場にいる兵士だと想像してください。」
自分や仲間を守り敵を倒すという必要に基づく染み付いた反射的な感情に従って行動します。

「今度は、偵察を担当する斥候兵だと想像してください。」
斥候の仕事は攻撃や防御をすることではありません。地勢を把握し潜在的な障害を識別し理解するのが仕事です。

軍隊にとって二つの役割は大事ですが、この二つを我々の日常的な考え方のタイプとして捉えることもできます。

良い判断、正確な予測、優れた決断が出来るかどうかはどちらの考え方をしているかによることが大きいのです。

もう一つ大事な要素があります。それは科学者が「動機付けられた推論」と呼んでいるものです。それは意識していない動機や願望や恐怖が情報の解釈に影響を及ぼすという現象です。これは日常生活でも見られます。ある情報に対しては味方のように感じ、別な情報に対しては敵のように感じ、叩き潰したいと思います。瞬間的にどちらに勝って欲しいかという感情が生まれ、影響を受けます。それはまるで兵士が反射的に行動するのと同じです。

「怖いのは、これが無意識におこる行動だからです。」
自分は客観的で公平だと思いながら、間違った判断をしかねないのです。

では『斥候兵的な考え方』の人はどう行動するのでしょうか。彼らはどちらのアイデアを勝たせようというのではなく、それが都合よく快適で綺麗なものでなかったとしても、本当の姿を可能な限り正確に素直に見ようとします。好奇心が強く新しいことを知る喜びに満ちています。そして何か予想に反するものに直面すると興味を惹かれるんです。考えを変えることを弱さだと感じていません。自分の人間としての価値を何か特定の事柄で正しいか間違っているかと結びつけて考えません。

つまり自分の考えと違う発見をした時「どうも自分の考えは間違っていたようだけど、だから自分が馬鹿ってわけじゃない」と考えます。このような一連の考え方が良い判断をもたらすと科学者は見つけました。そして面白いことに、この性質は頭の良さや知識の多さ、IQなどには相関しないのです。どう感じるかが問題なんです。

個人として社会として自分たちの判断力を本当によくしたいと思うなら、最も必要になるのは理論やレトリックや確率や経済などの知識ではなく、自分の間違いに気づいた時に恥ずかしいと思うのではなく、気づけた自分を誇りに思うすべを学ぶ必要があります。自分の考えと相反する情報に出会っとき、防衛的になるのではなく、それを面白いと思うすべを学ぶ必要があります。

最後にジュリア・ゲレフは観衆に問いかけます
「自分が最も憧れるのは何か?ということです。それは自分の信念を守ることなのか、それとも世界を可能な限り明快に見通すことなのか?」と。

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